おべっかを真に受けてしまうわたしの「1°」

日常
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世の中にはじょうずにおべっかを使う人たちがいる。
 もう会う気もないのに「また会いましょう」とか、 行く気もないのに「今度飲みましょう」とか。
 その場の空気を、後味の悪くないものにするために必要なのかもしれないけれど、わたしにはそれができない。行きたくないのに「また」とか「今度」とか、嘘の気持ちを言うのに抵抗がある。それに、「じゃあいつにしましょうか」なんて言われたらどうするの。ほら、面倒なことになるでしょ。

「ああいうのって、だいたい実現しないじゃないですか」とかいう友だちもいる。
 その気がないなら「今日はありがとうございました。じゃ、おつかれさまでーす!」で、いいじゃない。そうしてもらえませんか。わたしはそうしています。本音かどうかの見分けはわたしにとってとても難しく、言われたら真に受けてしまうから。

 とはいえ、世の中にはびこる「また…」「今度…」。
 相手がどんな気持ちであれ、(いや相手が本音かどうか見分けられないから)、自分が「あ、この人と次も会いたい」と思ったときにはすぐ連絡。なんなら、その場で「じゃあいつにします?」と予定を決めてしまうことも。

 社交辞令のつもりで言った相手は「真に受けられても…」と困ることでしょう。
 相手の困った表情にて、はじめて気づく。社交辞令だったのだと。気まずい。

 …そんなことが続くと、自分の鈍さを棚に上げて世界をどんどん閉じていく羽目になる。
 自分のまじめさを嘆き、つかれを感じていた折に、竹村俊介さんのあるnoteに出会った。

さっと動ける人、軽々しくものごとを始められる人は、そうでないその他大勢に比べて、きっと後悔は少ないはずだ。

人生を好転させる「1°」の法則

「秒で動く」ことの価値は、思っている以上に大きいのだ。

人生を好転させる「1°」の法則

「目の前の一歩を踏み出してみる」ことは「人生の角度を1°上げる」ことに似ている。その行動は小さな一歩だけれど、角度を1°上げることで未来は大きく変わっていく。

人生を好転させる「1°」の法則

 おべっかを真に受けた行動力、勘違いだったとしても誇っていいことじゃないか。
 たしかに、連絡して後悔するよりも、連絡をせずに後悔する方が多い。
 たとえ連絡して気まずい思いをしたとしても、連絡をしなければ実現させたい「また今度」は近づいてこない。人とのつながりも生まれない。
 空気が読めないとか、まじめ(褒めてない)とか、言われるけれど、空気を読めるようになることも、まじめさをコントロールすることも、わたしにとっては難儀なのだ。不器用で、おべっかを真に受けて恥だってたくさんかいたとしても、人のことばを正面から受けとめて行動する。

「連絡くれてありがとう。楽しかった!また、会おう!」
 相手も、自分も、楽しい1°を積み上げられる人でありたい。

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