約束という期待を捨てる

考えごと
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約束=強烈な期待

信頼していた人に、約束を破られた。

ふと思う。

「約束ってなんだよ…」

いきついた答えは「期待」だった。

「約束したんだから守って当然」という、相手への期待。

多くの人たちが小学生のころ「約束は守るもの」と教わって

今日まで生きてきているはずである。

しかしだ。

約束にはなんの拘束力もない。

破ったって罰則もない。

守っても見返りがあるとは限らない。

つまり約束は良心とか思いやりとか、

ものすごくふわっとした要素で成り立っている。

だからビジネスでは「約束」でなく「契約」をする。

けれども約束を取りつけた側になると

「約束したんだから守ってくれるよね」と

形のないふわふわをまるで掴み取ったような気持ちになるものだ。

…それってもう、強烈な期待でしかない。

多くの人はおとなになるにつれて「人に期待しない」ことも学ぶのだから

なんとも皮肉。

そしてまじめな人ほど人からの強烈な期待に応えようとするし

人から期待をされやすい。

無償で人からの期待に応え続けているのに

自分は期待はずれが多いんだとしたら

こんな割に合わないことはないし、かなしいことはない。

だから引き受ける約束は選んでいいと思う。

いったん引き受けたら「約束は守るもの」

約束を守ってもらう側になったら「守ってもらえる期待はしない」

まじめなわたしたちが必要以上に傷つかず

自分で自分を守っていくために。

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